研究所

腫瘍制御学分野

概要

がんを細胞の恒常性維持の破綻として捉え、その分子機序を解明することにより、分子メカニズムに立脚した新たな診断・治療シーズの提示を目指しています。

元来正常細胞には、その恒常性を維持し、分化・増殖・運動などを厳密に制御する様々な仕組みが備わっています。しかし様々な遺伝子変異やエピジェネティックな異常の蓄積、あるいはウイルス感染によって細胞の分化・増殖を司るシグナル伝達分子の機能異常が引き起こされる結果、無秩序な増殖や浸潤・転移に至ります。がんの治療を困難にしている理由の一つは、その原因が多様かつ複合的であることです。私たちはがん形質に直接対応している細胞恒常性の分子機序からのアプローチにより、様々な原因が発がんに至る契機をより深く理解するとともに、効果の高いがん治療標的の発見や、有効性の高い薬剤選択など新規治療戦略の創出に向けた研究に取り組んでいます。

目指すもの

がん細胞において破綻している恒常性維持機構を解明し、薬剤等でそこに働きかけることにより、がん細胞の選択的な休眠化や悪性化阻止、抗がん剤に対する感受性増大を実現できれば、安全で新しいがん治療戦略となります。その糸口として、がん形質に深く関与する膜構造・エクソソームによるシグナル分子の送達およびmicroRNAによるシグナル分子の発現制御に注目しています。基礎研究で明らかとしたメカニズムに立脚して新たな分子標的を探索し、愛知県がんセンター病院との共同研究により立証することで、得られた成果を診断・治療シーズへと結実させ、がんの先進医療に貢献したいと考えています。

研究室の実験の様子です(2021年12月23日)。

連絡先

愛知県がんセンター研究所

腫瘍制御学分野 分野長
小根山 千歳(おねやま ちとせ)
〒464-8681 名古屋市千種区鹿子殿1-1
Tel:052-762-6111(内線)7030
E-mail:coneyama@aichi-cc.jp

研究内容 一般の方へ

研究活動の概要

私たちの体は、約60兆個もの多様な種類の細胞から成り立っており、これらは各臓器や組織において適切な場所に適切な数や種類が存在することで、正常な状態を維持しています。そして細胞は、生存や増殖、動きを制御するために、細胞内外で様々なシグナル(情報)のやり取りを行っています。しかし、遺伝子に変異が生じたり、細菌やウイルスに感染したり、細胞を取り囲む環境が変化したりすると、シグナルの伝達が乱れ、細胞のがん化やその悪性化を招きます。腫瘍制御学分野では、正常細胞でのシグナル伝達の仕組みと、それが破綻した場合にどのようにがん細胞に変化してしまうのかについて調べ、新しいがんの治療戦略を提示することを目指して研究をしています。

図1:当研究室の研究方針

研究テーマ

細胞内のシグナル伝達の鍵、”Src”

細胞の中のタンパク質は、人体の設計図である遺伝子の情報に基づいて作られます。さらに、細胞内で情報が伝えられるとき、シグナルを運ぶタンパク質に目印がつきます。キナーゼと呼ばれる酵素は、タンパク質の決まった場所にリン酸という目印をつける働きがあります。私たちはキナーゼの中でも、タンパク質を構成するアミノ酸の一つのチロシンにリン酸の目印をつける酵素の”Src”(サーク)に注目して研究を行っています。このSrcは、がんの原因となる遺伝子から作られるタンパク質として世界で初めて見つかった酵素です。様々ながんにおいて、Srcの量が増え、働きが活発になっていることが確認されており、Srcの暴走が発がんや悪性化と深く関わっていると考えられています。しかし、Srcは正常な細胞の中にも存在し、細胞の増殖や生存において重要な役割を担っています。正常に働いていたSrcの制御が利かなくなるとシグナルの伝達にどのような異常をきたすのか、それががんの発生や悪性化にどのようにかかわっているのかを解析し、がん細胞の増殖に関係するシグナルの急所を見出そうとしています。

細胞間のシグナル伝達を担う「エクソソーム」

シグナル伝達は細胞の中だけでなく、周囲の細胞や遠く離れた臓器の細胞ともやり取りが行われています。この伝達方法の一つとして近年注目を浴びているのが、「エクソソーム」です。エクソソームは細胞外に放出される小さなカプセルのようなもので、中に様々な伝達物質が積み込まれており、これを受け取った細胞の機能を変えてしまう働きがあります。また、がん細胞から放出されるエクソソームは中身が変化している上に、正常細胞よりも多く放出されることもわかってきました。つまり、がん細胞はエクソソームの”質”と”量”を変化させて、自身が生き延びやすい環境を作っているのです。しかし、がん細胞がどのようにエクソソームを変化させているのかは殆ど知られていません。私たちは最近、Srcがエクソソームの形成や積み荷の選択に作用することを見つけ、現在その詳しいメカニズムについて解析中です。このメカニズムを明らかにすることで、エクソソーム形成に関わる分子を標的とした新たながん治療・予防の開発につなげたいと考えています。

図2:エクソソームを標的とした新たながん治療法の開発

目指すもの

がんの治療を困難にしている理由の一つは、その原因が多様で複合的なことです。がん細胞そのものを死滅させる従来の治療法とは違った視点で、破綻してしまったシグナル伝達の仕組みを解明し、制御不能となった細胞を正常な状態に戻すという別のアプローチから、がんの先進医療に貢献しようというのが私たちの研究室です。 がん細胞の中でコントロールを失った恒常性維持のメカニズムや、離れた細胞へもがん化のシグナルを伝えるエクソソームの研究を通して、増殖のスピードが速い、別の臓器に転移する、などのがんの特徴的な形質を抑える薬剤を開発することを目指しています。がん細胞だけを休眠させたり、悪性化を防いだりすること、また、抗がん剤が長期に渡り効きやすくすることができれば、副作用の少ない新しいがんの治療戦略となります。研究を通して新たな治療の標的を見つけ、がんセンター病院との共同研究により得られた成果を、新たな予防、診断、治療法へと結実させることを目指しています。

研究内容 専門家の方へ

はじめに

ラウス肉腫ウイルスのSrc遺伝子(v-src)は、最初に発見されたがん遺伝子であり、その産物はチロシンキナーゼとして初めて同定された蛋白質です。v-srcの相同遺伝子として正常細胞に見出されたc-srcは、代表的ながん原遺伝子とされ、大腸がんや乳がん、肺がんなど多くのヒトがん細胞で発現及び活性の亢進が見られるため、がん形質との関わりが強く示唆されています(図1)。またc-Srcを含むSFK(Src family kinases)の異常は、80%の大腸がんに見られ、5-10倍の活性上昇が見られるとの報告もあります。そのため、SFKはがんの治療標的として注目され、いくつかの低分子阻害剤が臨床試験されています。しかしsrcは他のがん原遺伝子と異なり、ヒトの腫瘍において遺伝子変異はほとんど見いだされず正常型として発現しています。このことから、c-Srcの活性制御系や発現調節系の何らかの破綻が他のがん関連遺伝子の変異と協調し、Srcを強力に活性化することでがん形質の発現・増強に至っていると考えられ、その詳細なメカニズムの解明は重要な課題となっています。

一方、Srcは増殖因子やインテグリンからの細胞外シグナルを様々な下流の細胞内シグナル経路に伝達する中継点であり(図2)、正常細胞において、増殖・生存・細胞骨格構築、細胞外マトリックスとの相互作用、遊走など幅広い生理機能に関与しています。これらの機能を果たしつつ、がん化に繋がりかねないSrcを正しく制御するため、細胞にはその活性を抑制する種々の機構が備わっています。実際、c-Srcを正常細胞に過剰発現しても、その活性は抑制されがん化を誘起できません。そこで従来の研究では、v-Srcや恒常活性型のSrc変異体が用いられてきました。しかしこれらは異常な細胞内蛋白質のリン酸化亢進を示すことから、実際のc-Srcの作用を反映しているのか疑問があり、c-Srcによるがん形質モデル系の創出が望まれていました。私たちは、Srcを負に制御するCsk(C-terminal Src kinase)を欠損したマウス線維芽細胞が、c-Srcを発現させることによってがん化することを見出しました(図3参照:Oneyama et al, Genes Cells, 2008)。CskはSrcの負の制御部位であるTyr527をリン酸化するキナーゼであり、その欠損によりSrcの活性が閾値を超えるとがん形質に至ります。この系は、細胞内蛋白質のリン酸化亢進が極めて限定的であるにも関わらず、頻用されてきた活性型Srcと同等のがん形質を示します。すなわちがん化に最小限必要なSrc基質やシグナル伝達経路を見出す点で優れた性質を有していると考えられます。これまで私たちは、このモデル系を活用してc-Srcによるがん形質発現の分子機構を再考してきました。その中で明らかにしてきたこと、および現在取り組んでいるテーマについて以下に記します。

図1:がん原遺伝子Srcとがん進展
図2:細胞内シグナルの急所Src
図3:c-Srcの恒常性破綻によるがん形質メカニズムの再考

1)細胞外膜小胞エクソソームの形成・分泌メカニズムの解明

がんの組織は、がん細胞とその周辺細胞から成り立っています。これらの細胞同士の細胞間コミュニケーションは、がんの悪性化や細胞の恒常性維持を担っていると考えられ、がんの本態解明とがん診断・治療に向けて研究が盛んとなっています。近年、エクソソームとよばれる直径100nm程度の細胞外膜小胞を介した細胞間コミュニケーションが注目され、エクソソームに内包されるmicroRNAに基づくがん診断や、内包分子の役割解明に向けての研究が多くなされています。エクソソームの潜在的な医学・生物学上の重要性は極めて高いと考えられますが、そもそも何故がんにおいてエクソソームの「量」が変化するのか、ある内包分子「質」が選択されるのか、といった基礎的な面では、未だ不明な点が多く残されています(図4)。我々は、後述の細胞内Srcシグナルの制御機構とがんのメカニズムの研究を元に、最近、Srcシグナルの活性化がエクソソームの分泌や内包物の選択に大きく関わっていることを見出しました。このメカニズムの詳細を明らかにすることにより、エクソソーム形成・分泌過程に関わる分子を標的とした、新たながん診断・治療法の開発を目指しています(図5)。

図4:エクソソームの「量」と「質」を制御するメカニズムの解明
図5:エクソソームの「量」と「質」の制御に向けて

2)脂質ラフトによるがんシグナルの空間的制御

細胞の生存・増殖を調整する役割を担うキナーゼ等のシグナル伝達分子は、その発現や活性が様々なレベルで制御され、その仕組みは細胞の恒常性維持に重要です。がん原遺伝子産物c-Srcは代表的なチロシンキナーゼであり、様々なヒトがんにおいて発現・活性の亢進が認められ、その制御破綻が発がん及び悪性化と深く関わっていると想定されてきました。しかしその一方で、Srcは自身の遺伝子変異を伴わない場合が多く、制御破綻に関わる分子機構については不明な点が残されています。我々はSrcの制御機構として新たに細胞膜ミクロドメインであるラフトの関与を明らかにし、コレステロールや脂質代謝酵素のがん形質への関与を見出してきました(図6参照: Oneyama et al, Mol Cell, 2008., Oneyama et al, Mol Cell Biol, 2009., Kajiwara et al, Biochem J, 2014)。ラフトはシグナル分子を膜上で空間的に制御して、細胞接着斑から発信されるがんシグナルを遮断する機能を担っていました。またこの発見に基づき、ラフト依存的がんシグナルに関与する分子を探索し、FerキナーゼがSrcがんシグナル経路の鍵分子であることを見出し、新たながん治療標的としての可能性を示しました(図7参照: Oneyama et al, Oncogene, 2016)。この発見をもとに、現在Ferを標的とする薬剤の開発も目指しています。

図6:がんシグナル抑制の場としてのラフト
図7:ラフトによる細胞恒常性維持の破綻とがんシグナル

3)マイクロRNAを介したシグナルネットワークの破綻とがん進展

近年、microRNA(miRNA)による遺伝子の発現制御が細胞の恒常性維持に果たす役割が次々に明らかとなっています。1つのmiRNAは複数の標的遺伝子の発現を制御し、またそれぞれの遺伝子は複数のmiRNAによる制御を受けています。我々はシグナル異常によるがん形質と密接に関連するmiRNAを探索し(図8参照:Oneyama et al, Oncogene, 2011)、その標的遺伝子を明らかにしてきました(図9参照: Oneyama, J Biochem, 2015; Review)。その結果様々なシグナル分子の発現がmiRNAによる制御を受けており、従来研究されてきたシグナル分子同士の直接的な相互作用の背後に、miRNAを介したシグナルネットワークが存在していることがわかってきました。 例えば、Srcがんシグナルによって制御されるmiR-99a及びmiR-424/503が、それぞれmTOR複合体2の構成因子であるmTORとRictorを制御していることを見出しています(Oneyama et al, Oncogene, 2011., Oneyama et al, Oncogene, 2012., Oneyama et al, PLoS One, 2013)。miRNAを切り口に、新たなシグナル分子間の関連性を見出すことは、代替シグナル経路の活性化により薬剤耐性を獲得したがんに対する新たな治療標的の提案などに応用できると考えています。

図8:c-Srcがん形質発現におけるmicroRNAプロファイリング
図9:Srcシグナルを制御するmicroRNAネットワーク

スタッフ紹介

小根山 千歳 (おねやま ちとせ)
役職
腫瘍制御学分野長
プロフィール
1993年大阪大学理学部化学科卒業、1995年大阪大学大学院理学研究科博士前期課程修了後、製薬企業にて抗がん剤開発の基礎研究に従事。2003年大阪大学にて博士号(医学)取得。2003年大阪バイオサイエンス研究所特別研究員(花房秀三郎研究室)、2005年大阪大学微生物病研究所で助教、准教授を経て2015年4月愛知県がんセンター研究所感染腫瘍学部部長(組織改編のため2018年4月より現職)。2016年4月から名古屋市立大学薬学研究科連携大学院客員教授(腫瘍制御学)。2017年9月よりJSTさきがけ「微粒子」研究者兼任。2018年11月より名古屋大学大学院医学系研究科連携教授(標的探索・治療学)。(医学博士)
主要研究テーマ
がんにおけるシグナル制御破綻機構について 1)細胞外膜小胞エクソソームの「量」と「質」を制御するメカニズムの解明 2)脂質ラフトによるシグナル分子の空間的制御 3)microRNAによるシグナル分子の発現制御 を機軸とした研究を行い、新規分子メカニズムに立脚した治療戦略の創出を目指している。
メッセージ
私の研究の原点は、最初に見出されたがん原遺伝子産物であり、シグナル伝達の鍵分子であるSrcの役割を探求することでした。そこから、がんにおいてシグナルネットワークの恒常性がどのように破綻するのか?さらにはその破綻を復元することが新たながん治療戦略となるのではないか?というテーマに至り日々チャレンジしています。愛知県がんセンター研究所という臨床に近い場で私たちのラボらしい研究を展開し、みんなで研究者としてがんと闘いたいと思います。
小根山 千歳 (おねやま ちとせ)
役職
腫瘍制御学分野長
小野島 大介 (おのしま だいすけ)
役職
腫瘍制御学ユニット長
プロフィール
2008年名古屋大学大学院工学研究科化学・生物工学専攻博士課程修了。文部科学省先端融合領域イノベーション創出拠点形成プログラム、内閣府最先端研究開発支援プログラム、文部科学省革新的イノベーション創出プログラムを経て、2025年より現職及び東海国立大学機構客員准教授(名古屋大学未来社会創造機構)。博士(工学)
主要研究テーマ
エアロゾルの発がん影響と計測へのアプローチの開拓、細胞外小胞を指標としたストレス応答や分泌抑制のシグナル伝達の解析
メッセージ
腫瘍制御学を通じて、がん形質をより深く理解し、リスク要因の影響と分子機序をもっと明らかにすることで、新たな分子標的や薬剤選択の可能性を広げたいと思います。
小野島 大介 (おのしま だいすけ)
役職
腫瘍制御学ユニット長
董 悦 (とう えつ)
役職
リサーチレジデント
プロフィール
2018年に中国の大連医科大学医学部臨床医学専攻を卒業。2024年3月に大阪大学大学院医学系研究科博士課程(医学専攻)を修了。博士号(医学)取得後、同年4月より現所属機関にて研究に従事している。
主要研究テーマ
がんにおける細胞外小胞(Extracellular Vesicle: EV)を介したmicroRNA輸送と細胞間コミュニケーションの制御機構の解明。EVの腫瘍進展への関与および診断・治療応用の可能性について探究している。
メッセージ
私は臨床医学の素養を基盤として、がん生物学における基礎研究に従事しております。分子・細胞レベルの微視的な視点と臨床応用という巨視的な視点を結びつけることで、新たながん治療法の創出を目指しています。
微小な分子の動きから、人の命を支える医療へとつながる橋を架けるような研究を通じて、社会に貢献していきたいと考えています。
董 悦 (とう えつ)
役職
リサーチレジデント
宮田 眞美子 (みやた まみこ)
役職
研究所技師
和田 琴恵 (わだ ことえ)
役職
研究所技師
安達 晴喜 (あだち はるき)
役職
連携大学院生(名古屋市立大学大学院院薬学研究科 博士課程)

業績

リサーチレジデント募集

一緒に研究して頂ける研究員及びリサーチレジデントの方を募集しております。ご興味のある方はぜひお問い合わせください。