腫瘍免疫制御トランスレーショナルリサーチ分野
概要
がん免疫編集のメカニズムを解明すること、個々の遺伝子変異由来の新生抗原(ネオアンチゲン)を標的とした有効ながん免疫療法を病院と連携して開発することを目標にしています。
2013年にがん免疫療法がサイエンス誌でBreakthrough of the yearに選ばれて以来、がん免疫療法がたいへん注目されていますが、その効果はまだまだ限定的です。治療効果をさらに引きあげるためには、最も基本的ながんと免疫系の相互作用、つまりがんの免疫編集のメカニズムをさらに詳しく解明する必要があります。腫瘍免疫制御トランスレーショナルリサーチ分野では、手術や生検を受けた患者さんの腫瘍組織、血液、そして臨床情報を使用し、がん免疫編集のメカニズムをがん抗原(特にネオアンチゲン)とそれを認識するT細胞のレベルで明らかにしていきます。そして、得られた知見を、新たながん免疫療法に応用することを基本姿勢としてトランスレーショナルリサーチを実践しています。
目指すもの
個々の腫瘍に発現するがん抗原と腫瘍内の免疫応答を詳細に解析し、そのメカニズムに基づいた有効ながん免疫療法につなげます。がん治療の中で、本来生体に備わっている免疫を操作することで効果を最大限にあげ、進行がん患者さんの治療効果、治癒率を引きあげていくことを目指しています。
連絡先
愛知県がんセンター研究所
腫瘍免疫制御トランスレーショナルリサーチ分野 分野長
松下 博和(まつした ひろかず)
〒464-8681 名古屋市千種区鹿子殿1-1
Tel:052-762-6111(内線)7010
E-mail:h.matsushita@aichi-cc.jp
研究内容 一般の方へ
はじめに
2013年に「がん免疫療法」がサイエンス誌でbreakthrough of the yearに選ばれました。これまでがん治療と言えば、正常細胞への影響を極力抑えながら薬でがん細胞を死滅させる治療が一般的でした。一方で免疫療法は自己の免疫細胞を活性化させ、がん細胞を排除しようという新しい治療法です。免疫療法はがん治療の中でも注目が高まっていますが、効果がある人はまだ限定的です。治療効果をさらに引き上げるためにはがんと免疫細胞との関係、特に免疫ががんを変化させ、かえって成長を促してしまうシステムを詳しく解明する必要があります。腫瘍免疫制御トランスレーショナルリサーチ分野では、手術や生検を受けた患者さんの腫瘍組織、血液、そして臨床情報を使って、免疫ががんを変化させるメカニズムを明らかにし、そこで得られた知見を、新たながん免疫療法として臨床で応用できるようにすることを基本姿勢として研究を行っています。
研究テーマ紹介
1)免疫系は、がんの発生を防ぐことができるか
「体の中には1日に5000個のがん細胞が発生しているが、免疫系がそれを排除しているためがんにはならない」といったフレーズをインターネット等で見ることがあります。これは本当でしょうか?少なくとも5000個という数字に根拠はありませんが、免疫系ががん細胞を排除しているというところは間違ってはなさそうです。免疫系ががん細胞を排除しがんの発生から体を守ることができるかという疑問に対しては100年以上にわたり学者の間で論争が続いてきました。そして、その疑問に対して実験ではっきりとした答えを示せたのは、実は2001年のことなのです。それではなぜ、がんの発生を監視する免疫系のシステムがあるにも関わらず、実際にがんができるのでしょうか。その答えに導いてくれると思われる仮説が「がんの免疫編集」と呼ばれるものです。免疫系の働きにはがん細胞を排除す以外にも、免疫により抵抗性を持つがん細胞ばかりを残してしまう、つまりがんを編集してしまう働きがあることが示され、この仮説が生まれました。がんの免疫編集は、はじめにがんであると識別しやすいがん細胞を排除します(排除相)。次に免疫がすべてのがんを排除できず取りこぼしが生じると、残されたがん細胞はしばらく免疫系と平衡状態を保ちます(平衡相)。その後がんは増殖を繰り返し免疫系より優勢になってがん細胞が免疫から逃げるような状態(逃避相)になると、臨床で発見されるほど増大したがんになっているという考え方です。私たちは臨床で発見されたがんが、過去にどのような免疫編集を受けたか、発見されたがんに免疫が反応する目印が残されているかを調べ、患者さんのがんに免疫療法が有効であるかどうかを検討しています。
2)免疫系の標的となるがんの「目印」
免疫細胞、特にリンパ球は体の中に生じた異常な細胞を正常細胞と区別して攻撃し排除しています。しかし外から入ってきた細菌やウイルスと違い、がん細胞はもともと自分の正常な細胞から生じてくるため、免疫系にとっては区別することが難しいのです。
がんは遺伝子に傷がついてできる異常がいくつも積み重なることによって正常な細胞ががん細胞に変化してできると考えられています。がんの形成や増殖に必要な遺伝子の異常だけでなく、それらに関わらない遺伝子にも異常がおきます。異常な遺伝子から作られるタンパク質は正常細胞には認められないため、異常な細胞(がんになる細胞)であることの「目印」となり免疫系に認識されます(下図)。しかしながらがんが発生してくる過程で、目立つ目印を持つ異常細胞は、免疫系にいち早く排除され、臨床でがんが発見されるときには、目立たない目印を持ったがん細胞ばかりに編集されている可能性も考えられます。したがって、がんが治療の対象となりうるどんな目印をどの程度残しているかを調べる必要があります。遺伝子の配列を解読する技術の発達により、個々の患者さんのどの遺伝子に異常があるかを見つけられるようになり、そこから生じる目印の予測も可能になりました。しかし、患者さんの体の中で実際にどの目印なら免疫が応答するかを正確に見つけ出すことは現在でもまだ困難です。私たちは、がんセンター病院と連携して患者さんの腫瘍や、腫瘍に浸潤しているリンパ球、血液等を使わせて頂き、実際に免疫応答を起こしている目印を見つけ出す研究を行っています。
3)がんに対する免疫応答の抑制機構
がんの中には、目立つ目印がたくさん残っていて、またそれを攻撃できるリンパ球が腫瘍内に浸潤しているにも関わらず、増大してくるものがあります。このような場合、がんの目印に反応するはずの免疫系になんらかのブレーキがかかっていることが考えられます。オプジーボに代表される最近話題の「免疫チェックポイント阻害剤」には、このブレーキを外す働きがあります。この薬を使うことでブレーキが解除され、目印に対し免疫が再び活発に働き、一部の患者さんで治療効果が得られたのです。この薬の効果が教えてくれたことは、免疫にかかるブレーキが外れ、本来の働きを取り戻すだけで、難治性の進行がんの患者さんでも完治にまでもっていくことが可能になったということです。ただ、免疫チェックポイント阻害薬は現在のところ、上述のように目立つ目印がたくさんあって、リンパ球が腫瘍の中に浸潤しているような一部の患者さんにしか効果が認められません。私たちは、効果が認められる患者さんとそうでない患者さんでは、目印や腫瘍内の免疫環境がどう違うのかを詳しく解析し、どこを人為的に操作すれば治療効果を得られるかを検討しています。
4)今後の免疫療法
「免疫チェックポイント阻害剤」が免疫にかかるブレーキを外す治療と例えるならば、免疫療法のもう一つの柱として、これまでも研究レベルで行われてきた「がんワクチン」を用いた治療法があります。がん細胞の目印となりうるタンパク質を患者さんに接種するいわば免疫のアクセルを踏むこの治療法も、がん細胞を攻撃するリンパ球を増強するという目的において、免疫チェックポイント阻害剤と同様です。
そして、理論上は、この両者をうまく組み合わせることが、治療効果を上げるうえで重要と思われます。実際、ブレーキを外すだけで効果の見られる患者さんはまだ一部にすぎません。ブレーキを外し、そしてアクセルも踏んでやることで、治療効果の見られる患者さんが存在するはずです。したがってアクセルの治療(がんワクチン)を強化する必要がありますが、その際重要なことは、ワクチンには免疫が認識しやすい目印を使う必要があるということです。前述のように、目立つ目印はすでにがんから消えてしまっている場合が多いので、残った目印の中からいくつか免疫が認識しやすい目印を見つけだし、その目印と同じタンパク質をワクチンとして接種する必要があります。変異した遺伝子から生じる色々なタンパク質がその有望な候補として考えられますが、それは個々人で違い、がんの種類によっても違っていることもわかってきました。したがって、がんワクチンは患者さんごとに違った目印を利用する個別化医療になり、病院と連携しながら免疫療法に適した目印をみつける研究を進めています。
目指すもの
私たちの研究室では、がん治療の中で、本来人間の体に備わっている免疫を操作することで、進行がんの患者さんへの治療効果、治癒率を上げていくことをテーマに、がんに現れる目印と免疫応答の関係を詳細に解析し研究を続けています。がんに対する免疫応答は個人差が大きいため、患者さん個々のレベルで、免疫が働く標的となる目印を探し、またがんの中の免疫環境を知る必要があります。そうしたデータから、がんワクチンと免疫チェックポイント阻害剤等の複合治療で効果が見込める患者さんを見極め、このような患者さんに対して複合的な個別化医療を実施し、がんを克服することを目指しています。
研究内容 専門家の方へ
1)がんの免疫監視から免疫編集へ
体の中に発生したがん細胞を免疫系が認識し排除できるかどうか、すなわちがんの免疫監視機構(cancer immunosurveillance)が存在するか否かの議論は約100年にわたって続いてきました。2001年、Robert Schreiberらの報告(Shankaran V et al, Nature, 2001)により、がんの免疫監視の存在がようやく受け入れられるようになり、”がんの免疫監視”をさらに発展させた”がんの免疫編集(cancer immunoediting)”という新しい仮説も生まれました(Dunn GP et al, Nat Immunol, 2002)。がんの免疫編集は排除相、平衡相、逃避相の三つの相からなります。その後、様々なマウスモデルにおけるデータや、次世代シーケンサーを用いたヒトのがんにおける網羅的な遺伝子解析データ等から、がんの免疫編集はマウスのみならずヒトでも起こりうることが明らかになってきています。また、その起こる程度は、個々のがんにより、またがんの形成過程や環境の違い等で異なるということも示されつつあります。がんの免疫監視・編集において、クリティカルなエフェクター細胞はCD4T、CD8T細胞、そして、その標的がん抗原は遺伝子変異由来の新生抗原(ネオアンチゲン)であると考えられます。私たちはヒトの検体を用いてがんの免疫編集のメカニズムを明らかにしていきます。
2)ネオアンチゲン
がん化の過程でがん細胞に蓄積していく遺伝子変異の中には、がんの発生・悪性化に関与するいわゆるドライバー変異と、関与しないパッセンジャー変異があります。いずれも、がん細胞特異的な変異に由来するネオアンチゲンとなり得ることに違いはなく、免疫系の標的となります。T細胞は胸腺における分化の過程でネオアンチゲンに対する免疫寛容を獲得していないため、ネオアンチゲンに対して強い免疫反応を引き起こす可能性があります。がん細胞内で処理された変異ペプチドはMHC-変異ペプチド複合体を形成し、がん細胞表面で抗原提示されます。MHC-変異ペプチド複合体に特異的なT細胞受容体(TCR)を持つ活性化T細胞が、抗原提示したがん細胞を認識し細胞傷害を引き起こします。一方で、正常細胞にはこのような変異ペプチドが発現していないため、T細胞に攻撃されることはありません(下図)。
ネオアンチゲンはそのほとんどが患者個々に発現した固有抗原であるため、これまで、その同定は非常に困難でした。次世代シーケンサー(NGS)の進歩により、個々の患者のがんにおける特異的な遺伝子変異が同定され、変異から生じるネオアンチゲン候補の網羅的な解析が可能になりました。すなわち、NGSによって得られた遺伝子変異のリストから、アミノ酸変異をきたすタンパク質を選択し、そこからin silicoでMHC結合能の高い変異ペプチド(ネオエピトープ)を予測できるようになりました。我々は、変異やネオアンチゲンの多寡を正確に把握することに加え、免疫関連遺伝子発現や、予後との関連を多角的に解析し、どのようなタイプのがんで免疫療法の効果が見込めるかを検討しています(下図)。
3)ネオアンチゲン同定の課題
ネオアンチゲン候補を同定した後は、それらに対する免疫反応を確認しなくてはなりません。しかしながら、患者自身の腫瘍浸潤リンパ球(TIL)や末梢血リンパ球を用いても、予測したネオアンチゲンに対する免疫反応を検出できる確率は非常に低いのが現状です。一方で、例えば免疫チェックポイント阻害剤治療で腫瘍の退縮に関与したネオアンチゲンの数は、何個かはわかりませんが、複数であるのは間違いありません。したがって、現在の手法では、正確なネオアンチゲンとそれに反応するリンパ球を十分に同定しきれていないと考えています。この問題を克服するためには、まず、より正確なネオアンチゲン予測アルゴリズムを確立する必要があります。そして、ネオアンチゲンに対する免疫応答を検出するための最適かつ感度の高いアッセイ法の確立が必要です。抗原側の予測と同時にTIL中及び末梢血中のT細胞受容体(TCR)のレパトア解析を行い、がんに反応するT細胞受容体の遺伝子配列を知ることで、双方向からネオアンチゲンに対する免疫応答の検証を試みています。私たちはこの課題を研究所内及び病院との共同研究で克服していきます。
4)ネオアンチゲンを標的としたがん免疫療法
2017年、ネオアンチゲンを標的としたペプチドおよびRNAワクチン治療の臨床試験の結果が報告されました(Ott PA et al, Nature, 2017; Sahin U et al, Nature, 2017)。最大20個のネオアンチゲンを標的としており、抗腫瘍効果とともに、転移が抑えられたことが報告されています。これは、ヘテロジニアスな腫瘍に対して、複数の抗原を標的とすることで免疫選択による腫瘍の逃避を防いだ結果と考えられます。このうち、ある症例ではワクチンのみでは再発をきたしたが、その後、免疫チェックポイント阻害剤治療を行うことで、病勢のコントロールが得られたことが示されています。さらに、ワクチンとして用いたネオアンチゲンに対する特異的T細胞の反応が増強していたことも確認されました。このことから、ワクチンであらかじめネオアンチゲン特異的T細胞を誘導し、その上でチェックポイント阻害剤を投与することで、臨床効果が得られたと考えられます。
今後、これらのがんワクチンの臨床試験が土台となって、さらにネオアンチゲンを標的とした免疫療法は発展していくものと思われます。これからの課題は、ワクチンを行う症例選択、前述のネオアンチゲン同定のアルゴリズムと、ネオアンチゲンを検出するアッセイ系の改良です。私たちは、研究所と病院が一体となり、適切な患者さんに、適切ながんワクチン治療を実施できるように体制を整備し、がんの治療効果の向上に貢献していきます。
5)おわりに
がん免疫編集のメカニズムに基づいた免疫操作により、免疫系から一旦逃避したがんを、再び排除に導く、あるいは平衡状態に戻すことが腫瘍免疫学の最終目標です(下図)。がん免疫編集のメカニズムをさらに詳細に明らかにし、それに基づいた治療が実践できれば、一定数のがんをコントロールが可能な慢性疾患の一つとしてとらえられる日が来るかもしれません。
スタッフ紹介
業績
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