腫瘍制御学分野
概要
がんを細胞の恒常性維持の破綻として捉え、その分子機序を解明することにより、分子メカニズムに立脚した新たな診断・治療シーズの提示を目指しています。

元来正常細胞には、その恒常性を維持し、分化・増殖・運動などを厳密に制御する様々な仕組みが備わっています。しかし様々な遺伝子変異やエピジェネティックな異常の蓄積、あるいはウイルス感染によって細胞の分化・増殖を司るシグナル伝達分子の機能異常が引き起こされる結果、無秩序な増殖や浸潤・転移に至ります。がんの治療を困難にしている理由の一つは、その原因が多様かつ複合的であることです。私たちはがん形質に直接対応している細胞恒常性の分子機序からのアプローチにより、様々な原因が発がんに至る契機をより深く理解するとともに、効果の高いがん治療標的の発見や、有効性の高い薬剤選択など新規治療戦略の創出に向けた研究に取り組んでいます。

目指すもの
がん細胞において破綻している恒常性維持機構を解明し、薬剤等でそこに働きかけることにより、がん細胞の選択的な休眠化や悪性化阻止、抗がん剤に対する感受性増大を実現できれば、安全で新しいがん治療戦略となります。その糸口として、がん形質に深く関与する膜構造・エクソソームによるシグナル分子の送達およびmicroRNAによるシグナル分子の発現制御に注目しています。基礎研究で明らかとしたメカニズムに立脚して新たな分子標的を探索し、愛知県がんセンター病院との共同研究により立証することで、得られた成果を診断・治療シーズへと結実させ、がんの先進医療に貢献したいと考えています。
2026年7月7日プレスリリース(2026年7月28日中日新聞掲載)
がん細胞は“情報発信”を止めて過酷な環境を生き延びる― ストレス顆粒が細胞外小胞分泌を制御 [PDFファイル/708KB]
連絡先
愛知県がんセンター研究所
腫瘍制御学分野 分野長
小根山 千歳(おねやま ちとせ)
〒464-8681 名古屋市千種区鹿子殿1-1
Tel:052-762-6111(内線)7030
E-mail:coneyama@aichi-cc.jp
研究内容 一般の方へ
研究活動の概要
私たちの体は、約60兆個もの多様な種類の細胞から成り立っており、これらは各臓器や組織において適切な場所に適切な数や種類が存在することで、正常な状態を維持しています。そして細胞は、生存や増殖、動きを制御するために、細胞内外で様々なシグナル(情報)のやり取りを行っています。しかし、遺伝子に変異が生じたり、細菌やウイルスに感染したり、細胞を取り囲む環境が変化したりすると、シグナルの伝達が乱れ、細胞のがん化やその悪性化を招きます。腫瘍制御学分野では、正常細胞でのシグナル伝達の仕組みと、それが破綻した場合にどのようにがん細胞に変化してしまうのかについて調べ、新しいがんの治療戦略を提示することを目指して研究をしています。

研究テーマ
細胞内のシグナル伝達の鍵、”Src”
細胞の中のタンパク質は、人体の設計図である遺伝子の情報に基づいて作られます。さらに、細胞内で情報が伝えられるとき、シグナルを運ぶタンパク質に目印がつきます。キナーゼと呼ばれる酵素は、タンパク質の決まった場所にリン酸という目印をつける働きがあります。私たちはキナーゼの中でも、タンパク質を構成するアミノ酸の一つのチロシンにリン酸の目印をつける酵素の”Src”(サーク)に注目して研究を行っています。このSrcは、がんの原因となる遺伝子から作られるタンパク質として世界で初めて見つかった酵素です。様々ながんにおいて、Srcの量が増え、働きが活発になっていることが確認されており、Srcの暴走が発がんや悪性化と深く関わっていると考えられています。しかし、Srcは正常な細胞の中にも存在し、細胞の増殖や生存において重要な役割を担っています。正常に働いていたSrcの制御が利かなくなるとシグナルの伝達にどのような異常をきたすのか、それががんの発生や悪性化にどのようにかかわっているのかを解析し、がん細胞の増殖に関係するシグナルの急所を見出そうとしています。
細胞間のシグナル伝達を担う「エクソソーム」
シグナル伝達は細胞の中だけでなく、周囲の細胞や遠く離れた臓器の細胞ともやり取りが行われています。この伝達方法の一つとして近年注目を浴びているのが、「エクソソーム」です。エクソソームは細胞外に放出される小さなカプセルのようなもので、中に様々な伝達物質が積み込まれており、これを受け取った細胞の機能を変えてしまう働きがあります。また、がん細胞から放出されるエクソソームは中身が変化している上に、正常細胞よりも多く放出されることもわかってきました。つまり、がん細胞はエクソソームの”質”と”量”を変化させて、自身が生き延びやすい環境を作っているのです。しかし、がん細胞がどのようにエクソソームを変化させているのかは殆ど知られていません。私たちは最近、Srcがエクソソームの形成や積み荷の選択に作用することを見つけ、現在その詳しいメカニズムについて解析中です。このメカニズムを明らかにすることで、エクソソーム形成に関わる分子を標的とした新たながん治療・予防の開発につなげたいと考えています。

目指すもの
がんの治療を困難にしている理由の一つは、その原因が多様で複合的なことです。がん細胞そのものを死滅させる従来の治療法とは違った視点で、破綻してしまったシグナル伝達の仕組みを解明し、制御不能となった細胞を正常な状態に戻すという別のアプローチから、がんの先進医療に貢献しようというのが私たちの研究室です。 がん細胞の中でコントロールを失った恒常性維持のメカニズムや、離れた細胞へもがん化のシグナルを伝えるエクソソームの研究を通して、増殖のスピードが速い、別の臓器に転移する、などのがんの特徴的な形質を抑える薬剤を開発することを目指しています。がん細胞だけを休眠させたり、悪性化を防いだりすること、また、抗がん剤が長期に渡り効きやすくすることができれば、副作用の少ない新しいがんの治療戦略となります。研究を通して新たな治療の標的を見つけ、がんセンター病院との共同研究により得られた成果を、新たな予防、診断、治療法へと結実させることを目指しています。
研究内容 専門家の方へ
はじめに
当分野では、がんを「細胞恒常性維持メカニズムの破綻」として捉え、その分子機構を解明しています。正常細胞は、分化・増殖・運動などを厳密に制御する多層的な仕組みにより恒常性を維持しています。しかし、遺伝子変異やエピジェネティックな異常の蓄積、さらには環境変化によって、シグナル伝達分子の機能異常が生じると、無秩序な増殖や浸潤・転移が引き起こされます。
がん治療を困難にしている要因の一つは、その原因が多様かつ複合的であることです。私たちは、がん形質に直接関与する細胞恒常性の分子機構に着目し、その破綻を解明するとともに、薬剤などでその機構に働きかけることで、がん形質を抑制し、がん細胞を正常細胞に近い状態へ導く可能性を探求しています。特に、最初に同定されたがん遺伝子産物であり、細胞膜直下に局在するシグナル分子Srcを起点として、恒常性破綻のメカニズムに基づく新たな分子標的を探索し、診断・治療シーズへと結実させることで、がんの先進医療に貢献することを目指しています。

1)がんにおける細胞外小胞分泌機構の解明とイメージング技術の開発
がん組織は、がん細胞と周囲の細胞から構成され、両者の細胞間コミュニケーションはがんの悪性化や恒常性維持に深く関与しています。近年、直径約100nmの膜小胞で細胞外小胞の一つであるエクソソームを介した情報伝達が注目され、エクソソーム内包分子の役割や診断応用に関する研究が進んでいます。しかし、がんにおいてエクソソームの「量」や「質」がどのように制御されるのか、その分子機構は未解明です。
私たちは、エクソソーム研究を加速するため、エクソソームマーカー(CD9、CD63、CD81)と高輝度発光タンパク質NanoLucを融合した細胞系を構築しました(Sci Rep, 2018)。この細胞では、培養液中の発光量とエクソソーム数が比例し、分泌量を効率的に定量できます。さらに、この細胞をマウスに移植し、生理的条件下でエクソソーム動態を長期間追跡できるex vivoシステムを開発しました。加えて、BRETによる赤色発光を利用した非侵襲的in vivoイメージングにも成功しました(Sci Rep, 2020; Methods Mol Biol, 2022)。
この実験系を用いて、エクソソーム分泌を制御する分子機構を解明しました。具体的には、エンドソーム膜上のSrcチロシンキナーゼがESCRT関連タンパク質Alixと相互作用し、腔内小胞(ILV)形成を促進することで分泌が亢進することを明らかにしました(Sci Rep, 2019)。さらに、Srcファミリーキナーゼ間で分泌促進作用に差があり、それが脂質ラフトへの親和性と関連していることを見出しました。また、膜融合に関与するSNAREタンパク質がSrcの局在と分泌に影響することも示しました(Biol Pharm Bull, 2022)。
加えて、MEK/ERK経路やmTOR経路の活性化がエクソソーム分泌増加と相関することを発見しました。MEKやmTORの活性化により、リソソーム関連遺伝子群の発現が低下し、エンドソーム分解が抑制されることで分泌が亢進します。MEK阻害によりこの過程を抑制すると、がん形質も顕著に抑制されました(Cancer Sci, 2022; Sci Rep, 2022))。
さらに最近、がん細胞が置かれる微小環境ストレスとエクソソーム分泌との関連に着目し、その制御機構の解析を進めています。がん組織内では、低酸素や栄養飢餓、酸化ストレスなど様々なストレスが常に生じていますが、それらが細胞間コミュニケーションにどのような影響を与えるかは十分に理解されていません。私たちは、酸化ストレスによって形成されるストレス顆粒(Stress Granules; SG)が細胞内小胞輸送を制御し、その結果としてエクソソーム分泌を抑制することを明らかにしました。さらに、この過程にはRNA結合タンパク質G3BP1を中心としたSG形成機構が関与し、ストレス応答とエクソソーム分泌が密接に連携していることを示しました(PNAS, 2026)。これらの知見は、がん微小環境におけるストレス応答がエクソソームを介した細胞間コミュニケーションを制御する新たな仕組みを提示するものであり、腫瘍進展や治療抵抗性の理解にもつながると期待されます。
これらの成果は、がん細胞由来エクソソームの機能解明や、エクソソームを標的とした新規治療法開発に向けた基盤となると考えています 。

2)脂質ラフトを介したシグナル制御と多量体型チロシンキナーゼを標的とするがん治療
細胞の生存・増殖を調整するシグナル分子は、発現や活性が精密に制御され、細胞恒常性維持に不可欠です。がん原遺伝子産物c-Srcは代表的なチロシンキナーゼであり、多くのヒトがんで発現・活性の亢進が認められます。しかし、Srcは遺伝子変異を伴わない場合が多く、その制御破綻の分子機構は不明でした。
私たちは、Srcの制御における細胞膜ミクロドメイン脂質ラフトの重要性を明らかにし、コレステロールや脂質代謝酵素のがん形質への関与を報告しました(Mol Cell, 2008; Mol Cell Biol, 2009)。ラフトはシグナル分子を膜上で空間的に制御し、細胞接着斑から発信されるがんシグナルを遮断する機能を担っていました。さらに、ラフト依存的ながんシグナルに関与する分子を探索し、FerキナーゼがSrcシグナル経路の鍵分子であることを同定しました(Oncogene, 2016)。Ferはv-SrcやEGFR活性化による形質転換にも必須であり、Src高発現がん細胞の腫瘍形成や浸潤にも重要です。Ferは大腸・肺・膵臓・乳腺・腎臓など多くのがんで高発現し、正常細胞ではノックダウンしても増殖にほとんど影響しないため、選択的治療標的として有望と考えられます。
さらに、Ferに結合する化合物をスクリーニングし、正常細胞への毒性が低く、がん細胞の増殖を強力に抑制するリード化合物を取得しました。これらは従来の非選択的チロシンキナーゼ阻害剤 (TKI)とは異なる作用機序を持つ新しいタイプの選択的阻害剤であり、高い特異性が期待されます。
本研究は、Src–Fer軸という新しいがんシグナル経路を明らかにし、多量体型チロシンキナーゼを標的とした新規治療戦略につながると考えています。

3)マイクロRNAを介したシグナルネットワークの破綻とがん進展
現在、microRNA(miRNA)による遺伝子の発現制御が細胞の恒常性維持に果たす役割が次々に明らかとなっています。1つのmiRNAは複数の標的遺伝子の発現を制御し、またそれぞれの遺伝子は複数のmiRNAによる制御を受けています。我々はシグナル異常によるがん形質と密接に関連するmiRNAを探索し(Oncogene, 2011)、その標的遺伝子を明らかにしてきました (J Biochem, 2015; Review)。その結果様々なシグナル分子の発現がmiRNAによる制御を受けており、従来研究されてきたシグナル分子同士の直接的な相互作用の背後に、miRNAを介したシグナルネットワークが存在していることが明らかとなりました。例えば、Srcがんシグナルによって制御されるmiR-99a及びmiR-424/503が、それぞれmTOR複合体2の構成因子であるmTORとRictorを制御していることを見出しました (Oncogene, 2011; Oncogene, 2012; PLoS One, 2013)。またSrc自身もmiR-137やmiR-129-3pによって制御されていることがわかりました (Genes Cells, 2018; Cancer Sci, 2020)。
miRNAを切り口に新たなシグナル分子間の関連性を見出すことは、薬剤耐性を獲得したがんに対する新しい治療戦略につながる可能性があります。

スタッフ紹介
微小な分子の動きから、人の命を支える医療へとつながる橋を架けるような研究を通じて、社会に貢献していきたいと考えています。
業績
リサーチレジデント募集
一緒に研究して頂ける研究員及びリサーチレジデントの方を募集しております。ご興味のある方はぜひお問い合わせください。